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シベニック世界子供の祭典
Sibenik International Children’s Festival since 1958
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ご挨拶

1993年にクロアチア共和国日本大使館からユネスコ主催「シベニック世界子供の祭典」の日本での運営を委託されました。

今までに、バレエ、絵画、オペレッタ、生け花、書道、琴、オペラ歌手等の皆様に参加して頂き、祭典参加者の子供に感動を与え、素晴らしい成果を出してきました。これは日本とクロアチアとの友好と相互理解促進の一助となっているのではないかと思っています。

この祭典との出会いをお話致します。

1989年、ユーゴスラビアの首都ベオグラードで、友人の結婚式に出席するため滞在していました。その後彼らの所有していたアドリア海の真珠と呼ばれているドブロブニク(現クロアチア共和国)の別荘に向かいました。そこでの風景や建物の素晴らしさに感動し、クロアチア(当時はユーゴ)に一層興味が湧いてきました。

その時に、ホテルの掲示板に、シベニック市で「ユネスコ主催の世界子供の祭典」が開催されている案内を見たのがきっかけでした。

大変関心があったので、早速、バスを乗り継ぎスプリット経由で4時間をかけてシベニック市に行きました。
祭典の責任者は大学の先生で女性でした。
名前はヤセンカ、現在は終世の友達となっています。

祭典の趣旨に賛同し、日本からも参加をしたいと申し入れをしました。

帰国後、翌年から参加するため準備に入りましたが、ご承知の如く、ベルリンの壁崩壊後、1991年頃から内戦が勃発し、国が分裂してしまいました。

この祭典は、チトー大統領の時代の1958年から続いているクロアチアでも伝統のある祭典です。その後、何があっても中止する訳にはいかないと、防空壕の中でも開催したと聞きました。

1993年から度重なる招聘状が届きました。内容は「国をあげて守るから日本から是非参加して欲しい」と書いてありました。
1994年、参加する決断をしました。子供、親を含め総勢23名の派遣団を結成しました。

ウイーン経由でザグレブに到着し、それから内陸を8時間かけてシベニック市にバスで向かいました。途中、建物に被弾の痕等の内戦の爪あとが到る所にありましたが、不安はありませんでした。

内陸の山間部を通り、海岸の見える丘にやっと到着しました。その時に見たアドリア海の青さの素晴らしさに感動しました。疲れも吹っ飛び、全員で歓声を上げました。今でもそれをしっかりと覚えています。

シベニック市に着くと大歓迎を受けました。平和の使者が来たとも言われました。

2005年、ヤセンカが日本に来られた時、「あの時は本当に嬉しかった。1994年当時は、日本から参加する事は、外務省も反対したでしょう。父兄も不安に思っていたでしょう。それを乗り越えて18時間もかけて来てくれた。困っている時に助けてくれるのが本当の友達だ」と何度も言っていました。

この当時参加した子供達の中には、自信を得たのか、日本で初めてクロアチアに留学した子供もいます。その後に、参加した子供達の中には、アメリカをはじめ、その他の国にも留学して、音楽の世界や美術の世界で活躍しています。

現在まで毎年参加をし、都合250名がこのシベニックの地に足を踏み入れています。

今では、シベニックは第二の故郷となっています。

また、日本とクロアチアとの友好の架け橋となる事を願って、初代の全権大使アルスナルギッチ氏に息子の名付け親になって頂きました。クロアチアの建国の父、トミスラフ王から 富 と名付けて頂きました。

これからも、クロアチアと文化交流を通して相互理解と友好の促進に寄与できるよう、微力ながら頑張っていきたいと思っています。


シベニック市シティホールにて   
初代全権大使アルスナルギッチ氏(中央)
郡知事(左)と大谷(右)




特定非営利活動法人
シベニック世界子供の祭典

理事長   大谷 昭二

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