NPO法人
ユネスコ主催 
                 
シベニック世界子供の祭典
Sibenik International Children’s Festival since 1958
ご挨拶 / 世界子供の祭典について / クロアチアについて / 募集要項 / 英文説明  / クロアチアの自然
過去の参加団体 / NPO法人 / 法人会員  / 個人情報保護方針  / リンク  / メール / TOP
クロアチアについて



住民 / 略史 / 産業 / 観光 / 文化と教育 / 国歌

クロアチア共和国は、国土面積5万6538平方キロの面積をもち、地勢や気候風土条件から見て、地中海地方、山岳地方、パンノニア地方に三分される。地中海地方の特徴は、世界でもまれなほど屈曲に富んだ海岸線である。全長1778キロであるが、海岸線に沿って1185の大小の島や岩礁があり、その海岸線を加えると5,780キロにも及ぶ。そのため、クロアチアは「千島の国」と呼ばれてきた。
地中海地方とパンノニア地方にはさまれた山岳地方は、最も小さく人口も少ない。
パンノニア地方は、北部に広がる平野を含み、面積、人口とも最大である。


1981年の人口は460万1469人、首都ザグレブの人口は85万5568人。
その他、主要都市としては、スプリット、リエカ、オスイク、ザダル、スラブオンスキ、ブロド、ブアラシデイン、スイサク、シベニック、カルロバアッツ、ドブロクニク、プーラなどがある。
リエカは川崎と、ザグレブは京都とそれぞれ姉妹都市関係を結んでいる。


クロアチア人は、七世紀に現在の土地に定着し建国した。トルピミル候,ブラニミル候、トミスラフ候、ペタル王、クレシミル四世らの治世が続いた後、1102年にハンガリー王国との間で婚姻関係が結ばれ、独立を失った。
1527年には、クロアチアの封建諸侯は、ハプスブルク家の統治を認める。
それ以来、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊する1918年までウイーンとペストの支配に対する戦いが続けられた。
例えば、17世紀ノフランコパン=ズリンスキの謀反、1871年のラコビイッの乱、今世紀初頭の青年革命運動などがそれである。

抑圧された農民大衆は、封建支配に対する長い血みどろの戦いを繰り広げた。
この地方で最大の農民一揆は、1573年の奴隷マテイア・グベッの指導によるもので、蜂起の波はクロアチア全土に広がり,更にスロベニアの一部へも波及した。

生まれて間もない市民階級は19世紀前半、イリリア運動の名で知られる民族再生の運動を起こし、他の南スラブ庶民族との共同体を理念としてかかげ、そこに戦いの広い支持を求めた。
当時の中心的運動理念はアンチ・スタルチビッツチのクロアチア国家独立構想とヨシプ・ユライ・シュトロスマイエルのユーゴスラビア主義であった。

1918年にセルビア人、クロアチア人トスロベニア人との王国が成立してからは、一人共産党だけが大セルビア主義と覇権主義を中央集権的支配とに対し、きわめて困難な政情のもとで闘争を行った。
両大戦間の時期における最大の政党であったクロアチア農民党は、その創立者ステパン・ラビッチが死ぬと、方針を転換してセルビア・ブルジュアジーと手を打ち、クロアチア農民の利益を守ると戦うと称しながら、実はその利益を裏切ったのであった。

労働運動は北部に比較的強い階級基盤をもっていたが、1895年の社会民主党の創立を機に力を増し始めた。
共産党は、1920年の地方選挙においてザグレブ市議会の過半数を占めた。
ヨシプ・ブロズ=チトーが革命活動を始めたのもザグレブであった。
チトーはまた、1928年、第8回ザグレブ市党協議会で反分派を行っている。
1940年、党の再建に成功したユーゴスラビア共産党は、第五回全国協議会をザグレブで開き、ファシストによる戦略があれば、即時歴史的任務を果たす用意があることを確認した。

ユーゴスラビア国が崩壊し、国産ファシスト・ウスタシャによる血の傀儡政権がつくられるとクロアチア民族は共産党の指導のもとに、ユーゴスラビアの他諸民族と肩を並べて人民解放戦争を開始した。
1941年末までに約7000人の戦士を擁する20余のパルチザン部隊が結成された。
同年秋にはクロアチア総司令部と最初の人民解放委員会が作られ、更に1942年第1回のユーゴスラビア人民解放反ファシズム会議の後、クロアチア人民解放反ファシズ全国会議が解放運動と革命の最高政治機関として設立された。

クロアチア民族は、人民解放戦争と社会主義革命を通じて社会的、民族的解放を勝ち取り、国家を再興し、かつてイタリアに奪われていた領土を回復し(イストリア半島、リエカ、ザダル、一部島)、ユーゴスラビアの他の諸民族と共に新しい社会主義ユーゴスラビアが生み出された。

1945年から1990年まではユーゴスラビア国家共同体と経て1991年に独立し、民主主義国家となった。

クロアチアは国際連合、OESSの一員であり、NATO、そしてCEFTAと平和協調をしユーロアアトランテイツク地域(EU)に加入すべく準備を整えている。


工業全体としては、石油工業と造船業と化学工業が特に発達している。
クロアチアの油田から年間300万トンの石油が産出さて、全国の需要の4分の一を満たしている。
最近ではアドリア海で天燃ガスも発見された。原油はリエカ、スイサク、ザグレブの精油所で精製・加工される。
主たる造船所はリエカ、スプリット、プーラにおかれている。
工業製品ではザグレブのプリバ製薬、合成樹脂ではザグレブのオキ有機化学工業、スプリットのユーゴプラステイカ社トユーゴビニル社、化学肥料ではクテイナのイナ石油化学、染料、塗料ではザグレブのクロモス=カトラン=クトリリン化学コンビナート,洗剤と化粧品では、オスエクのサポニア社がトップ・メーカーである。

スイサクの製鉄所では、シームレス鋼管と溶接鋼管が生産されている。
アルミ工業の中心はシベニックのボリス・キドリッチ軽金属である。
スラボンスキ・ブロドのジューロ・ジャコビッチ社は原子力発電所設備やプラントを供給している。
ザグレブのプルバマイスカ社は最大の工作機械メーカーである。発電機、電気機関車、エレクトロニクス、家庭電器などではザグレブのラーデ・コンチャル社,電話交換機をはじめとする通信機器では、ザグレブのニコラ・テラス社があげられる。

繊維産業ではバラジデンのビュルテクス社、ドガ・レサの綿工業、ザグレブのカメンスコ社、ナプリエド社、ナダ・デミッチ社などがある。食品工業ではコプリバニッのポドラバ食品工業が最大である。


青く澄んだ海から灰色のカルスト地帯、ザゴリエ地方のなだらかな丘陵、そして大河に縁取られた
パンノニア大平原にいたるまでクロアチアは素晴らし自然美に溢れている。しかしなんといっても魅力的なのは、
アドリア海であろう。古くから保養地として知られているオパテイア、ドブロクニク、ファバルとならんで、ここ20年のあいだに新しい保養地としてポーレチ、ウマダ、ロビニ、プーラなどの町やクルク島、ラブ島そして、ザダル、シベニック、カシュテル、マカルスカなどの海岸が開発された。一部はハワイ以上の施設と雰囲気である。

最近では、よく整備されたヌーデスト・ビーチがお目当てでアドリア海でバカンスを過ごす、ドイツ人、イギリス人、イタリア人、フランス人も年々増えている。ヌーデイスト・キャンプの数は10ケ所をこえるが、ブルサル近郊のコバエルサダ(イストリア半島)は世界で最大級のものである。

クロアチアには国立公園が多く、なかでもプリトビッツ湖沼国立公園は最大規模で、最も貴重なものである。
他にコルナート群島、リスニャク、パクレニッア、ムリエット島などの国立公園が知られている。

ゴルスキ・コタル地方は冬場の観光のメッカとして開発されつつある。また、森や河川に富んだ共和国北部では、狩猟観光がさかんである。

多数の温泉地に療養施設が作られており、クラピンスケ、トプリツッ、ビラジデンスケ・トプリツッ、ストビチケ・トプリツッ、ダルバルスケ・トプリツッ、リピチケ、トプリツッ、イスタルスケ・トプリツッなどが保養地として有名である。


教育制度は、就学前児童教育をもってはじまる。1981年の統計では幼稚園は847ケ所、園児数では72,019人であった。これは、0歳から6歳までの児童総数の15.7%にあたる。
小学校数は2838校で、児童生徒数は508,694人、教員数は26,545人であった。約2500人の児童生徒が、イタリア語、ハンガリー語、チェコ語、スロバキア語、ルテニア語、ウクライナ語などの少数民族の言語による授業を受けていた。

中等教育では、教育と労働を結びつけ、生徒が4年間の教育課程で最初の職業資格を身にけられるように、新しい職業訓練制度が導入された。中等職業教育センターに在学中の生徒数は204,414人で、このほか14,432人の成人も通学していた。教員数は13,105人である。

大学機関としては、ザグレブ大学、リエカ大学、スプリット大学、オスイエク大学の4つの総合大学に55の学部と28の高等専門学校が設けられている。在学生徒数は65,089人で、14,328人が卒業した。
修士課程の修了者は年間500人、博士号の取得者は約200人である。以上のほか、宗教団体の運営する大学教育機関が7校ある。

科学研究活動に従事する組織としては、独立の研究機関と大学付属研究所とがあり、114の研究所に働く研究員の数は6923人となっている。ザグレブには科学芸術アカデミーがあるが、ヨーロッパでも古い方に属する。また国立図書館、大学図書館、共和国文書館、ルジュル・ボシュコビッチ原子力研究所などもザグレブにある。共和国には、貴重な収集品をもつ123の博物館、718の図書館、15ほどの常設劇団、100を超えるアマチュア劇団など多数の文化施設がある。

新聞704紙、雑誌309誌が発行されていた。印刷部数は新聞だけでも、2億7643万部に達する。
ラジオ局が51局、テレビ放送センターがザグレブ、リエカ、スプリット、オスエックの4局ある。又 ザグレブにはヤドラン・フイルム社とザグレブ・フイルム社の2つの映画会社がある。

夏の観光シーズン中は、各地で演劇祭や音楽祭が行われるが、中でもドブロクニクのサマー・フェステイバル 
が有名である。

クロアチア美術の歴史は、中世初期にさかのぼることができる。とくに ニン、プリコ、ストン、ザダル、クルク、ラブなどに残っている9世紀以後の教会建築が重要であるが、

石彫りや金細工にも優れたものが多い。13世紀から15世紀にかけてのロマネスク時代の代表作には、アンドリア・バイナによるスプリットの大聖堂の扉、ラドバアンによるトロギールの大聖堂正面、ドブロクニクのフランシスコ派修道院がる。後期ゴジックではユライ・ダルマテイナツの名が知られる《シベニックの大聖堂、スプリットの彫像》。

ルネッサンスの時代になると、ドブログニクを初めとして数多くの美しい中世都市が完成し、画家のN・ボジダレビッチ、J・チェリノビッチ、A・メドウリッチ、J・クロビッチ、彫刻家のF・ブラニャニン〔ラウラナ〕らが活躍した。

バロック時代の影響は、ザグレブ、ビラジデイン、ベレツ、レポグラバなど、クロアチア北部の諸都市にみられる。近代クロアチア美術を代表する名前としては、V.・カラス、J・ラチッチ、E・ビドビッチ、M・クラリエビッチ、V・ベッチ、O・ヘルマン、K・ヘゲドシッチ、I・メシュトロビッチ、A・アウグツテインチッチ、V・ラダウシュ、G・アントウナッ、I・ロジッア、K・アンゲリ=ラドバニ、E・ムルテイチ、M・スタンチッチ、D・ジャモニャらの画家や彫刻家、V・コバチッチ、D・イブレルなどの建築家があげられる。またイバン・ゲネラニッチ、はじまるフレビネのナイーブ派の画家たちは、広く世界に知られている。

民族語によるクロアチア文学は、中世以来、その伝統をつちかってきた。古くは、グラゴル文字で書かれた1100年前後のバシュカ石碑、1288年のビノドル法典などがある。続いて人文主義的なルネッサンス文字とバロック文字の最盛期が訪れた{(マルコ・マルリッチ:クロアチア文学の父と呼ばれている。
フランシスコ・ザビエルがキリスト教伝道師として始めて日本に渡った際、彼の「聖職授任」一冊のみ携帯したエピソードがある。)M・ドルジッチ、I・グンドウリッチその他}。その中心はドブロブニクであった。

宗教革命に対する反動の時代には、北部にM・A・レルコビッチ、T・ブレゾバチキといった文学者達が登場している。
クロアチア民族再生の時代から文学はリュデビイト・ガイとイリリア派の人たちが推進した統一正字法に従って、シュト方言を用いて書かれるようになった。

19世紀から今世紀にかけて、現代クロアチア文学は、優れた文学者を輩出した。例えば、I・マジュラニッチ、A・シェノア、S・S・クラノチェビッチ、A・コバチッチ、A・G・マトシュ、V・ナゾル、A・ツエサレツ、T・ウイエビッチ、I・G・コバチッチ、D・ツエサリッチ、G・クルクレツ、D・タデイアヤノバチ、S・コラル、V・デスニツア、R・マリンコビッチ、V・カレブ、M・ボジッチ、M・モトコビッチ、S・ノバアックがあげられよう。

また、ミロラスバ・クルレジャは詩人、小説家、戯曲家としては特筆に値する文学者であっただけではなく、
多くの重要な文学誌を創刊した。

作曲家としては、古くはI・ルカチッチ、I・M・ヤルノビッチ、L・ソルコチェビッチなど、近代にはV・リスインスキー、I・ザイツ、B・ベルサ、J・ドトバッア、などが傑出している。

ザグレブはザグレブ・フィルハーモニー、ザグレブ放送交響楽団、ザグレブ合奏団、ザグレブ管弦四重奏団など、多くの著名な楽団の本拠地であり、国際現代音楽際ザグレブ・ビエンナアーレもここで催される。
現代の作曲家には、A・ドブロニッチ、I・マテテイチ=ロニゴフ、F・ロトカ、K・オダク、K・バラノビッチ、J・スラビエンスキー、B・パパンドプロ、I・ブルカノビッチ、S・シェレク、M・ケレメン、I・マレツらがいる。


クロアチアの国歌は“我が美しき故国”〔原題:“Lijepa nasa domovino”〕 と言います。
1835年に雑誌に掲載されましたアントウン・ミハノビッチ(Antun Mihanovic)の叙情詩にヨシフ・ルニャニン(Josip Runjanin)が1846年に曲をつけました。

国歌として最初に歌われましたのは1891年でした。プロフィコン(Profikon)による英訳詩は次の通りです。


Our beautiful Homeland   我が美しき故国

Beautiful is our Homeland   我が美しき故国

O so fearless, O so gracious, おお何と勇敢な、おお何と慈悲深い

Our fathers’ ancient glory, 我等が父の古き栄光

May god bless you, live forever! 神の祝福あらんことを、永遠に生きよ!

 

You are our only glory, 汝は我が唯一の栄光、

You are our only treasure, 汝は我が唯一の宝、

Yes, we love your plains and valleys, そう,我等は汝の平野と峡谷を愛する。

Yes, we love your hills and mountains. そう、我等は汝の丘と山を愛する。

 

Sava, Drava, keep on flowing, サバ、ドウラバ、流れ続けよ、

Danube, do not lose your vigor, ダニューブ、汝の活力を失うな、

Deep blue sea go tell the whole world, 深き青き海よ,行って世界に告げよ、

That a Croat loves his homelad. クロアチア人は故国を愛すると。

 

When his fields are kissed by sunshine, 彼の野原が日光の口付けを受けた時、

When his oaks are whipped by wild winds, 彼の樫の木が激しく風に打たれた時、

When his dear ones go to heaven, 彼の愛する人が天国に召された時、

Still his heart beats for Croatia ! それでも彼の心はクロアチアの為に打ち鳴る!


 NPO法人 シベニック世界子供の祭典 日本事務局
 〒103−0001 東京都中央区日本橋小伝馬町14番5号 メローナ日本橋7F TEL 03(5847)8235 FAX 03(5847)8236
Copyright (C) Sibenik International Children’s Festival since 1958